讃岐の仏像 上 第2版
ISBN:9784863870437、本体価格:1,000円
日本図書コード分類:C3015(専門/単行本/哲学心理学宗教/仏教)
156頁、寸法:148×210×8mm、重量194g
発刊:2013/11

讃岐の仏像 上 第2版

【序】
  奈良国立博物館美術室長  光森 正士
 仏典に「仏身を観ずるを以ての故に、亦仏心を見る。」と説かれてあるが、これはわれわれのように仏像彫刻の研究を志すものが最終的に到達しなければならない境地が説かれていると解される。
 その仏像彫刻の調査と研究に非常な情熱を燃やし、日夜これに精進する若き同学の士が香川県仁尾町にいる。それが武田和昭君である。武田君は昭和23年の生れで、その生家は真言宗の円明院というお寺である。高野山大学で仏教学を学び、いまは出身地仁尾町教育委員会に勤務している。勤務のかたわら文化財、特に仏像彫刻の調査を精力的に行ってきた。だから仏教そのものに対する学識もあり、仏像が何よりも好きであるというから、ある意味では全く鬼に金棒かも知れない。
 武田君がひとり足で稼いで調査した香川県下の寺院数は300余か寺といい、そこで調査した未指定の仏像の数は1千体にものぼるという。私の手許へも平安時代から鎌倉時代にかけての仏像写真が次々と送って来る。いまは香川県下の調査をすでに終え、愛媛県下に足をのばし、さらに意欲を燃していると聞く。それで調査した香川県下の仏像のうちから、60体ばかりを選んで、写真に簡単な解説を加えて1冊にまとめて世に送りたいという。
 私が武田君を知ったのはごく最近である。故倉田文作館長宛の問合せに対して、入院絶対安静ということで代って返信を差上げた。それが縁のはじまりである。以来何度か会った。この巻頭の序は、実は倉田館長がその執筆を約束されていたのである。不帰の人となられたいま、代りにどうしても私に書けとのことで、分不相応ながら筆を執った次第。生前倉田館長から「彼は非常に熱心でね、君も面倒みてやってくれ」ということばを耳にしていたことから決心もついたわけである。
 所収の仏像はすべて未指定品ばかりで、写真も同君の手に成るものである。やや地方色豊かなものも多いが、都作に近いものもいくつかみられる。しかし、そのほとんどが私どもの拝見したことのない仏像である。それらを世に紹介するという一応の成果は期待される。今後これらの仏像を基にして更に一歩踏み込んだ研究を期待したい。この書を御覧いただく地元をはじめとする多くの方々は同君の熱意に拍手をおくられると共に、陰に陽に同君の調査研究に協力と支援の手をさしのべてやって頂きたい。
 武田君の一層の勉励を願って筆を擱く。
   昭和58年4月1日


【あとがき】
 讃岐の仏像については古く明治34年にすでに善通寺の吉祥天立像など8体が旧国宝に指定され、続いて大正2年・同8年など戦前からかなり詳しく調査されてきた。
 戦後においては特に昭和40年の「四国八十八ヶ所霊場寺院を中心とする文化財調査」によって数多くの仏像が発見された。
 その後、香川県教育委員会などによって逐次調査がなされてきたが、それらの調査は殆んどが大きな寺院を中心としたもので県下寺院(真言宗)の三分の一にも満たないものであった。
 もちろん仁尾町にもそれまで仏像や仏画についての詳しい調査はなされておらず古い仏像などは知られていなかったのである。
 私も当然、鎌倉時代に遡るほどのものは町内の寺院には蔵されていないであろうと思った。しかし昭和52年10月の調査の結果は鎌倉時代のもの4体、平安時代のもの3体を見い出すことができ、大きな驚きであった。
 勿論それらの仏像はまったく世に知られていないものばかりであった。
 これはひとり仁尾町のみならず他の市町も調査が十分になされていないと考えた私は引き続いて三豊郡や仲多度郡の真言宗寺院を中心に調査をはじめたのである。しかしその頃の私はまだ十分には仏像の年代判定などできなかったが、ただひたすら仏像を見て廻った。そして書物と合せ読むことによって徐々に知識と見る目が養われつつあったように思う。調査に出かけるのは楽しい。まだ見たこともない寺を、そして仏像を想像するのは、まるで子供が遠足に出かける時のように心が弾むものである。
 殆んどは前日に訪問先の寺に電話で用件を告げているので当日、戸惑うことはなかった。
 はじめて会う住職も私が寺の住職であることを確認すると気持ちよくお茶をすすめてくれ、やがて高野山の話や仏像の話に移る。
 いよいよ本堂に通され本尊の厨子が開かれそして仏像が顕れる。
 何ともスリルのある一瞬である。その仏像がもし、鎌倉時代や平安時代のものであったら早速、住職の許可を得て撮影にとりかかるのである。
 考えてみればまことに不謹慎きわまりないと思っている。信仰の対象である仏像がその時には、私にとって美や研究の対象にしか思っていないのだから。
 しかし、こうした調査がいつか必ず何かに役立つと信じている。
 調査はほぼ順調に行われたが、時には拝観を許されない場合があった。しかしそれはごく稀なことで250ヶ所ほどの調査のうち僅か2~3ヶ所にすぎなかったのである。そうした中で特に印象に残ったのは〝秘仏〟であるという理由により拝観を許されなかったことである。
 その寺は仁尾町から遠く離れた山中にあった。寺伝や所蔵されている仏画などからみて古仏が蔵されていることが想像できた。
 住職に案内され通された本堂には大きな厨子が3体並んでいた。本尊は薬師如来でその両脇が千手観音と阿弥陀如来だと説明してくれたのであるが、そこまで言うと住職は「やはり開扉するわけにはいけません、先代もその先代も開扉したことがないと聞いており、もし開いて悔いが残ると……」つぶやくように私に言ったのである。
 私は懇願したが、ついに拝することができなかった。帰り際に、もしいつか開扉する時があったら是非知らせて頂きたい旨を伝えたが住職は首を振りながら「おそらくないでしょう」とまたつぶやくように話した。
 こうした秘仏という思想はいつ頃からいわれ出したのであろうか。元来は祈りの対象として祈る者と対峙して仏像があった筈である。
 かつて秘仏として固く開扉を拒んでいたがフェノロサによってついに開かれた法隆寺夢殿の救世観音、そしてまた高野山下の慈尊院の弥勒如来など秘仏にまつわる話は多い。
 帰途その寺の薬師如来のことを想像してみた。おそらく一木造りで大きさは等身ほど、できれば平安初期のものであるならなおよいのだがと思いをめぐらしながら。
 そして、その後、ある図書館でその本尊のことが記されている古い新聞の切り抜きを見た。それには「桧の一木造りで年代は不明である」と書かれていた。おそらく古い言い伝えでもあったのであろう。
 私は益々、古仏であることを確信した。その仏像が讃岐の仏像彫刻史の上で何か大きな意義を持つものではなかろうかと今でも思っている。
 このように仏像とは何か、信仰とは何かなどを考えながらすでに五年が経った。訪ずれた寺や小庵などが約250ヶ所以上にもなり香川県下の真言宗寺院の大半を廻った。
 それにしても思った以上に古仏が多く蔵されているのには驚いたが、いくら訪ね歩いても平安初期の仏像はついに見い出すことはなかった。
 しかし平安中期から鎌倉時代末期にかけての像を数十体見い出すことができ、その中には既指定の仏像になんら遜色のないものがかなり見い出せたのは大きな収穫であった。
 これらの仏像は「香川県文化財協会報」などに発表してきたが、何とか1冊の本にまとめて出版することができ、この上ない喜びを感じている。
 最後になったが、仏像の見方の手ほどきを受けいつもご教示して頂いた香川県教育委員会の溝渕和幸先生、そして田舎の未熟者の拙ない私の質問にいつも丁寧なご教示と、序文まで頂いた奈良国立博物館美術室長の光森正士先生には厚く御礼申し上げます。また、たび重なる訪問にも心よく仏像を拝させて頂いた各寺院のご住職様や小庵の管理者の方々に厚く御礼申し上げます。
   昭和58年4月1日  武田 和昭

【目次】
木造釈迦如来坐像   聖通寺(宇多津町)
木造釈迦如来坐像   西山寺(丸亀市)
木造釈迦三尊像    松尾寺(琴平町)
木造釈迦如来坐像   東円寺(観音寺市)
木造釈迦如来坐像   長徳寺(丸亀市)
木造薬師如来坐像   薬師芳春(坂出市)
木造薬師如来坐像   弘光庵(坂出市)
木造薬師如来立像   克軍寺(高松市)
木造薬師如来坐像   惣官寺(三豊市豊中町)
木造薬師如来坐像   室田薬師庵(綾川町)
木造薬師如来坐像   浄願院(まんのう町)
木造薬師如来立像   菩提院(綾川町)
木造薬師如来立像   薬師院(三豊市高瀬町)
木造薬師如来坐像   広厳寺(高松市)
木造薬師如来立像   常徳寺(三豊市仁尾町)
木造阿弥陀如来坐像  蔵六寺(高松市)
木造阿弥陀如来坐像  某阿弥陀堂
木造阿弥陀如来坐像  島田寺(丸亀市飯山町)
木造阿弥陀如来坐像  観音寺(東かがわ市帰来)
木造阿弥陀如来立像  瑞雲寺(三豊市仁尾町)
木造阿弥陀如来立像  観興寺(高松市)
木造阿弥陀如来立像  明光寺(土庄町)
木造阿弥陀三尊像   某寺
木造阿弥陀如来立像  吉祥寺(高松市)
木造阿弥陀如来坐像  某阿弥陀堂
木造阿弥陀如来坐像  法蔵寺(琴平町)
木造阿弥陀三尊立像  法然寺(高松市)
木造阿弥陀如来立像  光蓮寺(さぬき市鴨庄)
木造阿弥陀如来立像  梵音寺(三豊市詫間町)
木造阿弥陀如来立像  歓喜院(三豊市高瀬町)
木造阿弥陀如来立像  土井阿弥陀堂(三豊市仁尾町)
木造阿弥陀如来立像  蓮光院(観音寺市)
木造阿弥陀如来立像  法音寺(丸亀市)
木造阿弥陀如来立像  観音院(多度津町)
木造阿弥陀如来立像  菩提院(綾川町)
木造阿弥陀如来立像  長福寺(高松市)
木造大日如来坐像   大日寺(高松市)
木造如来形坐像    極楽寺(三豊市仁尾町)
木造聖観音立像    岩谷寺(三豊市高瀬町)
木造聖観音立像    長法寺(琴平町)
木造聖観音立像    始覚寺(三木町)
木造聖観音立像    積善坊(東かがわ市引田)
木造聖観音半跏像   広厳寺(高松市)
木造千手観音坐像   與田寺(東かがわ市中筋)
木造千手観音立像   覚城院(三豊市仁尾町)
木造十一面観音立像  吉祥寺(高松市)
木造十一面観音立像  某庵
木造十一面観音立像  眼明寺(土庄町)
木造十一面観音立像  正本観音堂(三豊市三野町)
木造馬頭観音立像   橋方庵(さぬき市寒川町)
木造地蔵菩薩立像   浄土寺(土庄町)
木造地蔵菩薩立像   長福寺(丸亀市)
木造地蔵菩薩立像   天福寺(高松市香南町)
木造地蔵菩薩坐像   広厳寺(高松市)
木造天部形立像    道隆寺(多度津町)
木造毘沙門天立像   浄願院(まんのう町)
木造毘沙門天立像   天福寺(高松市香南町)
木造毘沙門天立像   安養寺(丸亀市手島)
木造毘沙門天立像   田井毘沙門堂(三豊市豊中町)
木造毘沙門天立像   長福寺(高松市)
木造毘沙門天立像   覚城院(三豊市仁尾町)
木造天部形立像    善光寺(善通寺市)
木造六字尊立像    円成庵(高松市)
木造本地仏坐像    薬王寺(三豊市山本町)
※某寺・某庵としたのは寺の都合や無住の小庵のためである。
讃岐の未指定仏像調査について
あとがき

【著者紹介】
〔著者〕
武田 和昭

【出版社から】
再版ですが内容に大きな修正はありません。