四国は紙國 ~四国和紙の里紀行~
ISBN:9784863870567、本体価格:2,000円
日本図書コード分類:C1021(教養/単行本/歴史地理/日本歴史)
491頁、寸法:148×210×27mm、重量690g
発刊:2015/03

四国は紙國 ~四国和紙の里紀行~

【序章 伝統技術を学ぶための和紙の里紀行】
〔日本文化の中の和紙技術〕
 「富士山~信仰の対象と芸術の源泉」及び「和食文化」が平成25(2013)年にユネスコ文化遺産として登録された。これ以前にも古都京都、奈良の文化財、石州半紙、結城紬、小谷縮、越後上布など代表的な日本文化が登録されている。
 このことは日本人の生活、文化あるいはそれを支えている伝統技術が世界的に高い評価を受けているということである。この中で和紙は私達日本人の生活、文化を支える基盤的な資材として重要な役割を果たしている。
 和紙の伝統技術に関していれば、先行する「石州半紙」に次いで、すでに国の無形文化財として指定を受けている「細川和紙」、「美濃和紙」についても、政府は平成25(2013)年に世界文化遺産登録を申請し、平成26(2014)年10月末に承認となった。また、近年、「越前和紙」は国の無形文化財に登録された。このように和紙技術についても、国内外で伝統産業として高い評価を受けている。和紙技術は、日本人の心と美意識のなかで創造され、練磨されてきた技術であるからである。
 その技術を見れば、コウゾ、ミツマタ、ガンピなど長繊維の靭皮繊維を原料とし、細やかなで丁寧な作業で製紙用原料につくりあげ、合理的なパルプ化方法で繊維に仕立て、職人の高度に熟練した技法で漉き上げ、手慣れた手捌きで迅速に乾燥工程に持っていき、シートが完成する。更に、出来たシートは、更に様々な用途に適するように加工されて、目的に合うように仕上げられる。このようにして出来た紙は、保存の条件が整えば、千年以上にわたる風雪にも耐え得る耐久性を持ち、加工性も優れているという素晴らしい技術なのである。
 出来上がった和紙の特性に対して、和紙の研究者である町田誠之先生は、「しなやか」、「すこやか」、「みずみずしい」という和語の形容詞で、その表現されておられる(『和紙と日本人の二千年』)。そのように柔らかみを持ちながら、強靭な紙を与える。
 しかも地域ごとに造り方は変わり、また、使用目的ごとに異なる多様性を持っている。加えて、そのシートは私達日本人の生活文化を根底的で支えているのである。

〔和紙の要素技術の活用によるシート化技術の研究開発〕
 筆者は昭和50(1975)年2月に当時の通商産業省傘下の研究機関、四国工業技術研究所に赴任した時、「新しい繊維で、特殊な目的の紙の技術を研究開発する」という課題を頂いた。当時、合成高分子の研究開発は時代の寵児で、繊維分野ではレーヨン繊維から出発して、新しい合成繊維が日夜続々と登場していた時代であった。そこで、これらの繊維を和紙技術に学んで、その技術を応用して新しい紙(シート素材)をつくればよいのではないかと考えた。つまり、合成繊維のシート化技術の手本を伝統的な和紙技術に求めたのである。
 有難いことに、通商産業省傘下の研究機関は県立の研究機関と連携して研究開発をするように組織化(工業技術連絡会議)されており、県の製紙試験場(当時)の和紙分野の技術指導、研究開発を担っている研究者と連携して共同研究することが出来るような体制が整っていた。そこで、県の製紙機関の方々と連携して、和紙の現場を訪れ、伝統技術を学ぶ機会と場を持つことが出来た。そして、その学んだ技術を新しい繊維素材のシート化技術に応用するという研究組織もつくられた。
 この組織は、はじめは通商産業省傘下の研究機関と公設研究機関の製紙担当研究官だけの組織であったが、企業で開発する新しい繊維を対象にすることから、産業界、更には大学を取り込んだ官産学の組織に発展し、「化繊紙研究会」、後に名称を改めて「機能紙研究会」と呼ばれる組織になった。
 そのような時代の流れの中で、和紙原料は途上国から、具体的にはコウゾはタイ、ラオス、ミツマタは中国、ネパール、ガンピはフィリピン、ネパールなどから輸入されるという時代になっていった。我が国では農業の担い手が都会に出てしまい、和紙原料の造り手が少なくなったのである。現場からは、輸入原料のニュースを求められた。
 時を同じくして、通商産業省傘下の研究機関は、途上国と研究協力をするように求められ、そのプロジェクト研究にも参加した。途上国との紙に関する研究協力は、外国産の製紙原料に関する格好の情報源が得られた。同じ植物種でも、紙物性から見ると産地によって異なるのである。このようなことで、伝統技術の和紙技術を製紙現場から学び、新しい繊維のシート化技術へ応用すること、また、和紙の現場には外国産の和紙原料の輸入情報を提供するという連携の輪が出来上がった。

〔「和紙の里」紀行記シリーズの出版〕
 お陰で、国立の研究者は公設機関の研究者とともに和紙現場を訪れる機会が出来た。和紙技術を学ぶという目的をもって「和紙の里」を訪れているので、現場で見聞したことを筆者は「復命書」(出張報告書の官庁用語)に替わりに、「探訪記」、「訪問記」、「紀行記」などと表記した形式で現場訪問の記事をまとめて、紙、民芸、工芸に関係ある雑誌、例えば、『百万塔』、『民芸手帳』、『かみと美』、『紙パルプ技術タイムス』などに投稿していた。
 そのような背景で、その現地訪問の範囲は全国に跨がる広いものであるが、やはり四国四県が多かった。そこで、今回、これらの「紀行記」を総合的に和紙技術の歴史の一コマとして「四国編」と「全国編」に分けて、再編集することにした。
 「和紙技術の歴史の一コマ」と書いたのは、編集が訪問時から、何分にも時の経過が長く、一昔あるいは二昔のことになってしまい、「和紙の里」の現地の状況は大分変わっていると思われるからである。筆者らに丁寧に教えて頂いた方で亡くなられたり、あるいは和紙製造作業を止められたり、世代が交代していることも多いであろう。また、漉き場の環境もアプーローチの方法も変わっているかもしれない。
 しかしながら、本書で描きたいと思ったことは、伝統工芸技術としての和紙技術そのものであり、その底流に流れている技術、また漉く職人の精神、気構え、道具立て、製造の諸条件などは基本的には変わっていないのではないかと思っている。
 また、もし変わっていても、過去との違い、あるいは技術、生活文化の進化と認識されて読んで頂ければ、有難いとと考える次第である。
 なお、筆者らが構築してきた、このような紙の研究開発の組織は存続しており、現在でも四国経済産業局の産業振興政策の受け皿的なグループとなっており、その事業を施行する四国産業・技術振興センター(STEP)は、その政策を反映するホームページ「四国は紙国」を立ち上げている。

〔本書の構成指針〕
 筆者は、このような意図でまとめた紀行記をこれ迄3冊上梓している。一冊目は『和紙周遊~和紙の機能と源流を尋ねて~』(ユニ出版、1988)であり、2冊目は『和紙博物誌~暮らしのなかの紙文化』(淡交社、1995)で、これは電子書籍にもなっている。そして3冊目は『讃岐の紙~その歴史を訪ねて~』(美巧社、2013)である。本書及び同時出版の『「和紙の里」紀行~続『和紙周遊』~』は副題でも標示したようにその続編である。
 本書は「四国四県の和紙の里」紀行記であり、当然四国の県別に分けているが、『和紙周遊』から3篇だけ再録させて頂いた。具体的には、「第一章 阿波の章」における第一節「阿波和紙と木頭太布の探訪」、「第三章 伊予の章」における第一節「伊予周桑紀行~伊予奉書紙の里国安及び石田を訪ねて~」及び「第三章 土佐の章」における「第五節 土佐・吉野川沿い山間手漉き場探訪」である。これらは、同県の他の探訪記と併せ読んで、対比して頂きたかったからである。同書は絶版で、多くの読者諸賢は、お手元に『和紙周遊』をお持ちでない方が多いと思ったからである。
 なお、本書の姉妹編に当たる全国にわたる『和紙の里紀行~続『和紙周遊』~』では、愛媛県では「南予地区の和紙の里」、高知県では「仁淀川系で漉かれている清帳紙」を取り上げている。伊予及び土佐は全国的に著名な和紙の里であると考え、全国編に編入したかったからである。
 また、「第二章 讃岐の章」は、上記3冊目の『讃岐の紙~その歴史を訪ねて』を発刊した結果、読者から寄せられた情報を基にした調査結果の報告である。それ故、他の三県とは趣を異にしている。讃岐では「和紙の里」は昭和の初め頃までになくなり、機械漉きの製紙工場地区として高松市紙町周辺に集積された。その地区の主として機械漉きの栄枯盛衰を描いている。
 なお、本書では訪問記は断片的なので、各県の章の冒頭に、その県の和紙の歩みを概説し、全体像がイメージできるように「探訪道しるべ」を付けている。

【終章 編集を終えて】
 筆者の和紙の里の訪問は、各探訪記から見ても判るように、概ね各県の製紙技術の担当の方々が殆ど同行して下さった。各県の製紙技術分野の研究開発のご担当者は、業務として、それぞれ明確な調査目的を持たれ、探訪を企画された。そのお陰で、筆者はその方々について、色々質問しながら各産地の実情を詳細に調べることが出来た。記述に当たっては、臨場感を抱いて頂くために、現場までのアプローチを含めて、現場調査の過程を読み物風にまとめるように努めた。
 このような探訪調査を一つの県でターゲットを変えて繰り返すうちに、それぞれの県の製紙技術の特徴とポテンシャルのようなものが見えてくるように思えた。
 第一章の「阿波の章」では、阿波における和紙の技術の伝承は古く、『古語拾遺』に書かれた伝承が現代までも残り、コウゾは紙ばかりでなく、太布、更にはタパに展開する分野が開かれていた。また、藍染の技術を温存し、染め紙の分野にも展開が見られた。
 第二章の「讃岐の章」は、拙著『讃岐の紙~歴史を訪ねて~』発刊を契機にして、香川県立文書館紀要に江戸後期の紙町の製紙業の挙動を記した文献があることが判り、更に高松市紙町在住の古老河野克明氏と知己になり、香川県製紙工業会が遺した製紙工業の文献集が見つかり、高松市紙町の製紙業歴史が明らかにすることが出来た。この章は全編書き下しである。
 第三章の「伊予の章」では、紙産業は西部から東部にシフトしていることを鑑み、中予東予に焦点を当てた。周桑の紙漉きを再録し、余り知られていない東予の新宮の在りし日の紙漉きを描きまた、旧川之江の初期の紙祭りを味わった。現在の紙祭りとの変容を見て頂ければと思って採録した。というように東予の紙の動きを見てみた。
 第四章の「土佐の章」では、高知県は手漉き紙は国内で最大の産地で、県内の大きな川沿いに点在する手漉き紙の現場として、同県の代表的な紙は典具帖紙と清帳紙の現場を詳述した。この中でもう見られなくなったところもあるが、紙漉きとはこんな姿で行われていたかを描きたいと思った。新たに「大濱紙」という日本画紙がつくられたので、日本画紙とその周辺技術を詳述した。
 以上、振り返ると、多くの方々のお世話で、主として高度成長経済期の四国の和紙の里の姿を、このような書としてまとめることが出来た。関係各位に感謝の念を捧げたい。
 このような伝統技術をベースに、温故知新で四国には製紙技術のイノベーションも進んでいることを付言しておきたい。

〔構成各章の論説出典リスト〕
第一章 阿波和紙の里探訪
 第一節 阿波和紙と木頭太布の探訪
     百万塔、第49号、78~90頁、(財)紙の博物館、(1980)
     拙著『和紙周遊』(ユニ出版)(1988)、34~51頁、再録
 第二節 山崎忌部神社と三木文庫~紙祖神と藍と太布を求めて~
     その一 民芸手帳、第283号、14~20頁、東京民芸協会(1981.12)
     その二 民芸手帳、第284号、8~15頁、東京民芸協会(1982.1)
 第三節 阿波の高越山に登る~もう一つの忌部神社を求めて~
     百万塔、第61号、45~52頁、(財)紙の博物館、(1984.4)
 第四節 阿波拝宮紙探訪~那賀川上流の障子紙~
     百万塔、第76号、12~30頁、(財)紙の博物館、(1990.5)
 第五節 阿波藍と阿波池田の手漉き和紙探訪
     かみと美、第8巻第1号(通巻第17号)、4~14頁、名宝刊行会(大阪)(1989)
 第六節 カギノキ・コウゾからの織布と不織布~太布・紙子・紙布及びタパ~
     百万塔、第84号、12~23頁、(財)紙の博物館、(1993.1)

第二章 讃岐の紙の里~紙町の製紙産業の盛衰記~
 第一節 『讃岐の紙~歴史を訪ねて~』の補遺
     初出
 第二節 江戸後期の高松藩での紙の流通統制と原料コウゾの栽培奨励
     初出
 第三節 明治・大正・昭和前期の香川県の製紙業
     初出
 第四節 昭和後期・平成期における紙町周辺の製紙業の推移
     初出

第三章 伊予和紙の里探訪
 第一節 伊予・旧新宮村の手漉き和紙探訪
     百万塔、第81号、13~25頁、(財)紙の博物館、(1992.2)
 第二節 伊予・旧川之江の紙祭り探訪
     百万塔、第50号、66~77頁、(財)紙の博物館、(1980.9)

第四章 土佐和紙の里探訪
 第一節 土佐和紙・新之丞伝説の真偽~七色紙誕生の謎~
     かみと美、第7巻第2号(通巻第16号)、9~17頁、名宝刊行会(1988.11)
 第二節 仁淀川沿いの土佐和紙典具紙を訪ねる
     民芸手帳、第177号、8~15頁、東京民芸協会(1981.6)
 第三節 仁淀川上流の山間手漉き探訪
     民芸手帳、第282号、8~15頁、東京民芸協会(1982.2)
 第四節 土佐・吉野川沿いの山間手漉き探訪
     その一 民芸手帳、第281号、8~13頁、東京民芸協会(1981.10)
     その二 民芸手帳、第282号、8~13頁、東京民芸協会(1981.11)
     小林良生、『和紙周遊』、79~96頁、ユニ出版(1988)
 第五節 土佐和紙に誕生した大濱紙を巡って
     百万塔、第135号、83~115頁、(財)紙の博物館、(2010.3)
 第六節 古代紙から生まれたコウゾ絵、
     百万塔、第73号、53~62頁、(財)紙の博物館、(1980.4)
 第七節 安芸に土佐面と土佐凧を訪ねて
     かみと美、第3巻第3号、36~40頁、名宝刊行会(1984.7)

【目次】
序章 伝統技術を学ぶための和紙の里紀行

第一章 阿波の章
  第一節 阿波和紙と木頭太布の探訪
  第二節 山崎忌部神社と三木文庫-紙祖神と藍と太布を求めて-
  第三節 阿波の高越山を登る-もう一つの忌部神社を求めて-
  第四節 阿波拝(はい) 宮(ぎゅう) 紙探訪-那賀川上流の障子紙-
  第五節 阿波藍と阿波池田の手漉き和紙探訪
  第六節 カジノキ・コウゾからの織布と不織布-カジノキ・コウゾの伝播ルートとタパ、紙子、太布、紙布- 

第二章 讃岐の章
  第一節 『讃岐の紙~その歴史を訪ねて』の補遺
  第二節 江戸後期の高松藩に於ける紙の流通統制と原料コウゾの栽培奨励
  第三節 明治・大正・昭和前期の香川県の製紙業
  第四節 昭和後期・平成期における紙町周辺の製紙業の推移 

第三章 伊予の章
  第一節 伊予・周桑紀行-伊予奉書紙の里旧国安及び旧石田を訪ねて-
  第二節 伊予・旧新宮村の手漉き和紙探訪
  第三節 伊予・旧川之江の紙祭り探訪

第四章 土佐の章
  第一節 土佐和紙・新之丞伝説の真偽-七色紙誕生の謎-
  第二節 仁淀川沿いの紙漉き場探訪(その一)-土佐典具帖紙-
  第三節 仁淀川沿いの紙漉き場探訪(その二)-土佐市高岡町の手漉き障子紙-
  第四節 仁淀川上流の山間手漉き探訪記-狩山障子紙及び寺村清帳紙-
  第五節 土佐・吉野川沿いの山間手漉き探訪-土佐町森の障子紙及び土佐岩原の宇陀紙-
  第六節 土佐に誕生した大濵紙を巡って-土佐と越前における日本画紙の歩みの中で-
  第七節 古代紙から生まれたコウゾ絵
  第八節 安芸に土佐面と土佐凧作りを訪ねて

終章 編集を終えて
構成各章の論説出典リスト

【著者紹介】
〔著者〕
小林 良生

【内容紹介】
ユネスコ無形文化遺産にも登録決定となった日本の和紙技術、その現場を訪ねたガイドブックの四国編。 通商産業省(当時)傘下の研究機関である四国工業技術研究所にて製紙技術研究者であった筆者が、研究のため出向いた和紙製造現場の風土や技術、職人の人間性などを細密にまとめ、報告書の替わりとして「紙の博物館(東京・北区)」の機関誌『百万塔』など民芸・工芸関係の雑誌に投稿、掲載されたものに追調査を加え再編したもの。著者の前著「讃岐の紙」「和紙の里紀行」に続く“和紙3部作”最終部。