待合室のミニカルテ
ISBN:9784863871090、本体価格:1,100円
日本図書コード分類:C0047(一般/単行本/自然科学/医学薬学)
180頁、寸法:128×182×12mm、重量214g
発刊:2019/11
【はじめに】
病院の待合室にはそれぞれのドラマがある。病気以外にも悩みや不安を抱えているかもしれない。
気晴らしのため、一般的な待合室にはテレビが置いてある。皆が一斉にそちらに向かって座っている。混み合う長椅子、見知らぬ人と人の距離が微妙に近い。普段は楽しく見るはずのテレビが何かしら、その番組に没頭できない。おまけにチャンネルの選択権もない。皆の顔つきもどことなく明るくない。そこでふと横の壁に目を見張ると、啓蒙の意味を込めた「早期がん発見のために健診を受けましょう」などのキャンペンポスターをみる。しかし、本人が内心、癌を気にして受診したとしたなら、心臓の鼓動を高める効果しかない。待合室において平静な気持ちで時間が過ごせる環境づくりは病院側の大きな課題でもある。
本人だけでなく、付き添う家族も心配をする。「変な病気だと言われたら・・・」と取り越し苦労かもしれない不安がどうしてもつきまとう。中には「具合が悪くても明日 の仕事は休めない、安心して早く帰りたい、早く処方薬をもらいたい、早く注射をしてほしい」など、気持ちが切迫した状況で待っている患者さんも多いだろう。様々な理由で待合室において順番を待つ時間は実際よりも長く感じるものだ。
さらに病院の玄関に足を踏み入れただけでも、心理的に緊張しやすい方も結構おられる。「病院の雰囲気は別にどうもない、平気だ」と思う方でも、不安そうな人たちの光景に影響され、多少なりとも心拍数は上がるだろう。
待合室には備え付けの自動血圧計を見かけることが多い。緊張せずに自分のペースで血圧を測定してもらう目的がある。「朝の自宅の血圧は正常だったのに、あれおかしい、血圧が上がっているぞ」と言われる。中には「この血圧計は壊れているんじゃないか」とやや憮然として、診察室に入ってこられる方もいる。
ヒトはちょっとでも緊張すると、それを反映して血圧が上がりやすい動物だと思う。結婚式など人前で、スピーチを上手にこなそうとする場面を想像してみてほしい。もしも、横で誰かが血圧計をまいてその数字を実況中継したら、ひどいものだと思う。診察室も同じようなものだ。症状をどのように伝えようかと考えながら、診察台や椅子に腰かけ、見つめ合った瞬間、緊張がクライマックスに達する。医学では白衣高血圧という 用語がある。しばしばドクターの前、時にはナースの前で血圧が大きく変動する様を言い表す。最近では、それを意識してか、白色を避けてカラフルなものがふえてきたような気がする。
このように血圧や心臓の鼓動は待合室にいる時から序奏がすでに始まっており、診察室では最高潮に達する。そこで待合室にいる間から、何かしらリラックスできる雰囲気作りが出来たら、どんなにか素晴らしいと常々、思う次第である。
気晴らし上手な方は、自分の好きな本に集中したりする。知り合いの人を見つけては話しかけ、おしゃべりに興じるご婦人方もいる。「あら、ごめんなさい、もう呼ばれたわ」と言いつつ、診察室に入ってこられる方もいる。しかし、下を向いて床を眺めながらじっと静かに順番を待っている人は要注意かもしれない。その中にはきっと具合が悪い人がいるからだ。
外の待合室と中の診察室を行き来する看護師の姿も待合室ならではの光景だ。医療側では待合室の状況を常に気にしている。ベテラン看護師なら診察室いる医師に、特に具合の悪そうな人の様子などを手際よく伝える。その人の病態をある程度見極め、早めにお呼びすることもある。そのためには周囲で待つ他の人への配慮と協力も必要となる。
トリアージという言葉をご存じだろうか。災害や事故現場などでよく使われ、多数の負傷者がいた場合、その重症度に応じて治療の優先順位を決めることだ。実は待合室でも少し似たような考え方がある。他の人の順番を乗り越えて、優先的に診察することは、簡単なようで実はやりくりが大変だ。
また、協力してもらう他の患者さんも、それぞれ何らか具合が悪いし、平常な心境ではなく、病院の待合室にいる。そんな状況下で、他人を思いやることは簡単ではない。「心や体に余裕のない状況下においても、優しい気持ちを持ち続ける」ことは待合室ならではの課題であろう。時として倫理的なテーマも見え隠れする待合室は、医師として大切にしたい空間でもある。
本のタイトルである「ミニカルテ」の由来は著者の所属する病院で実際に用いられている「医師と書くミニカルテ」という名前を付けた手帳からヒントを得たものである。そのミニカルテには、診察時に記載した電子カルテの内容をそのまま載せてある。医学情報を患者さんに公開するため、時代に先駆けて1999年から当院で始めた情報公開システムである。実際のカルテ内容をプリンターで印字した後、スタッフがはさみで切り取り、ミニカルテに糊付けする。時を経た今でもアナログ的作業のスタイルは変わら ない。手間のかかるミニカルテだが、どことなく温かみを感じる手帳でもある。それを手渡す際、その場で間違いがないかを互いに確認できることも利点だ。そうすることで、患者さんと医師との信頼関係を構築することにも役立っている。今やなくてはならない大切なミニカルテとなっている。
このアイデアは病院の創設者である岡村一博氏によるものである。その理念は「より良い医療をこの地域に」である。理念の中核をなすものは、高度医療、親切医療、チームワーク医療の3つの標語だ。手作りのミニカルテを発行することで、医療情報を正しく理解して頂き、共有してもらう。悩みや不安をいっしょに解決しようという親切医療の一環である。
従来から、カルテの記載といえば、小難しい専門用語ばかりと思うのが一般的だ。しかし、手帳に医学情報を公開する以上、専門用語をできるだけ避けた。その代わりとなる、理解しやすい平易な日本語を捜し、専門用語から置き換えるという医師側の地道な努力も強いられた。英語などはカルテ内に一切記載しない。すべてを日本語のみで統一するようにカルテ内の記述には規制が設けられた。最初の頃は、医師たちも書きなれないスタイルに、もどかしさを感じた。しかし、医師側も文章でわかりやすく伝えるコ ミュニケーション手段を磨くための良い機会を与えられた日々でもあった。
このミニカルテは患者さんサイドでも日頃の血圧日記として手書きをしたり、次回の診察時に聞きたい疑問点や質問を書いておく手段にも利用してもらっている。
それ故、単なるミニサイズのカルテという意味ではなく、親しみやすさを追求した手帳サイズの「ミニカルテ」である。
さて、この本は著者が産経新聞岡山版に「待合室のミニカルテ」のタイトルで2014年4月から約4年にわたって連載した医学コラムを編集したものである。
ありふれた医学症状の深い意味を、わかりやすく解説することをモットーに、書き下ろした。医師が使い慣れた専門用語をできるかぎり噛み砕き、興味をもってもらえるように記載することを心掛けた。
新聞のコラムには、季節感や時の話題が盛り込まれたりすることが一般的だ。筆者もそれぞれの医学記事に季節感を盛り込むよう、工夫を凝らした。どんな季節に読まれたとしても、その頃の待合室の情景が目に浮べば、幸いである。リラックスして読んでいただき、本書を通じて、待合室での季節感を感じていただけるとうれしい。
【編集後記】
2019年度も、猛烈な夏が来て、この前まで曇り空続きで、さほど気温が上がりにくかった、適温の梅雨時期が懐かしく思われる。その頃には、梅雨明け宣言を早くと願っていたが、いざ明けてみるとやはり暑い。過ぎし6月の初め頃、隣町である四国に出かけ、とある花屋さんで、何とも言えない色合いの素敵な紫陽花を、偶然にみつけた。ダンスパーティーという粋な名前にも魅かれた。ついつい、2鉢ツインで買った。大きな鉢だったので、車の荷台に乗せる際、花屋の亭主が手伝ってくれた。その時につぶやいた何気ない亭主の言葉が、何とも意外な感じがして、とても心を動かされた。「この花が、海を渡って嫁ぐのはうれしいな」と。丹精込めて育てられた花なのだと直感した。確かに花は自分一人では、移動できない。しかし、それが気に入った人に出会い、その人の手によって、思わぬ場所へと移動する。今までそんなことを考えてもみなかったので、何かとても新鮮であった。そして、見事に季節の花として元気に咲き続けてくれ、長雨の時期を和ませてくれた。そんなダンスパーティーにおける踊り子たちも、そろそろ鉢と言う舞台から、本来の地元に帰省させてやらねばならない頃のようである。来年も、鮮やかな衣装をまとって、楽しまさせてくれるだろうことを信じつつ、大事に育てていきたい。
【目次】
はじめに
〔睡眠シリーズ〕
意外と多い睡眠時無呼吸症候群
夢と血圧の熱い関係
安眠、誰に足をすくわれる?睡眠中のその姿勢、大丈夫?
無重力で寝てみたい?
寝る子は育つとは?
酒は百薬、睡眠薬の長?
秋の夜長に孤独な心臓の悲鳴が聞こえる
夜間のトイレ、あなたは何回?
朝、頭痛の種は脳腫瘍?
チョコレートと睡眠の甘くて苦い関係
春先、その体調不良の正体は?
ジェット・ラグよ、アロハ!
眠気の解消、やる気の強い味方は?
寝言には気がかりな匂いが潜んでいる
若いカップル、自分たちの未来に投資を
宇宙飛行士を襲う最初の病いとは
社会が求める「グッド スリープ」へ
日本人に多い「眠り病」の正体は
科学者の力、良薬ここにあり
生活習慣病の背後には何かが隠れている
眠気対策のカフェイン、その落とし穴とは
睡眠はこころの窓口?
謎だらけ、睡眠の不思議
〔めまいシリーズ〕
めまいと乗物酔いの微妙な関係
その自律神経失調、潜む意外な原因
めまいと言えば、メニエール病
耳の奥にある宝石とは
転ばぬ先のコツ
ふらつき、それは何の警告サイン?
寝耳に水のノーベル賞
そのふらつき、ウイルスかも
いつもと違う二日酔いにはご注意を
頭痛のない脳腫瘍とは
意外と身近な低酸素
そのめまい、予防できる
〔嚥下シリーズ〕
おしゃべりの代償
誤嚥防止のコツをのみこむ
一瞬の幸せ、のど越しとは
コウノトリは夢を運ぶ
ちょっと身につく栄養の話
食欲の出る医学アラカルト
おっと、その手が危ない
モチモチ食感に集中を
フラッときたら飲み込みも
鼻づまりの思わぬ影響
編集後記
【著者紹介】
〔著者〕
松尾 隆晶