讃岐の儒学者と水戸学の周辺
ISBN:9784863871595、本体価格:1,500円
日本図書コード分類:C0010(一般/単行本/哲学心理学宗教/哲学)
140頁、寸法:148.5×210×8mm、重量178g
発刊:2022/02

讃岐の儒学者と水戸学の周辺

【あとがき】
良き師や友を選ぶときの可否は、人生の正しい道を進むことができるか、どうか、その人の生涯に大きく係わる問題である。僅かの選択の誤りが歳月の経過と共に、取り返しのつかない大きな誤りとなってしまう。
師や友を選ぶこと、正しい道を確認することは昔から真剣慎重でなければならないと、戒められている。殊に若者にとって師友を選ぶことを、疎かにしてはならない。
陽明学者の熊沢蕃山は若い時、良き師を求めて京都に旅したある日、同宿した飛脚から誠実な馬子との出逢いの話を聞き、その馬子を教育した中江藤樹が偉大な聖人君子であることを知って、「師と仰ぐ人物だ」と決心して中江藤樹に弟子入りした。
また、笠間藩主井上正利(河内守)と言う後に寺社奉行に就く立派な武士が、平素から交際していた本屋の主人に「師を求めているが、立派な師と仰ぐ人を紹介して欲しい」と頼んでいた所、山崎闇齋と言う人物を知らせてくれたので「是非、拙宅に出頭するよう」本屋の主人を通じて告げていた所、山崎闇齋は「吾れ一介の書生だが、大名と雖も師に対する礼儀に欠けた申し込みは、お断りする」とはねつけた。
井上正利(河内守)は「この御仁こそわが師と仰ぐ人物だ」と丁重に反省して謝り、礼を尽くして弟子入りした。
また雨森芳洲と言う江戸中期の儒学者は、わが子を荻生徂徠の塾に通わせていたが、ある日、塾生と師友の間柄は和気藹々となごやかであるが、長幼の序や師弟の間柄に礼節が欠けていることを知り、「こどもを托するに適さない」と判断し、直ちに退学させた。
また遊佐木齋と言う後に仙台藩儒となった儒学者が、若い時、良き師を求めて京都にきて、仁慈の徳望ある伊藤仁齋に魅かれ入門しようか、傲慢で気性の厳しい山崎闇齋に弟子入りしようか迷った時、友人から儒学についての奥深い識見を有する山崎闇齋の志にうたれて山崎闇齋門下となったと言う逸話がある。
後世に至り讃岐出身で幕府儒官となり、寛政の教育改革で活躍した柴野栗山の「進学三喩」の中にも、「志を遠大にすること、初めに正道を確認すること、小成に安んじないこと」の中で、正道を外していると気がつけば直ちに正道に復帰することの大切さを教え、もし師と仰ぐ人物の志が誤っているとしたら、直ちにその師の許から離れ、良き師を求めることの大切さを教えている。現代の義務教育の下では師を自由に選べないことを考えれば、師となる人たちがいかに身を修めることが大切か自覚しなければならない。
また幕末の勤王家吉田松陰の「士規七則」の中に、人生を立派に生き抜くためには、師や友人に立派な人を選ばなければ成功しないのが世の常である。「師恩友益」即ち師の指導と友の協力である。と教えており、立派な師や友人を求めるには又、自らも立派になる努力が大切であると説いている。「益者三友」即ち友は正直で誠実で、共に人の道を語り合えることが大切である。
本著に記した儒学の学派も、各儒学者が良き師を求めて学んだ結果の学統集団であり、必ずしもひとつの学派に拘った訳でなく、様々の学派の学問をして志を立てたのである。
単に知識を広く深く得、技能や芸を習得し練磨し、それを受験合格や就職など目前の利害のためにする学問であれば、師や友を選ぶことはそれほど真剣、慎重さを求める必要もない。人間として正しい人の道を実践する生涯を目ざすなら、師友を選ぶことの正否は真に重要である。現在の日本人に求められているのは、生き方に対する心の拠りどころであると思うのである。本著は、そのような意味で先人たちが辿った学問の軌跡を、歴史を顧みながら考察したものである。

【目次】
はしがき
一、儒学
 1.危機に瀕した日本
 2.学問、教育の原点
 3.儒学の推移
 4.四書五経
 5.日本の儒学
 6.日本の儒学の学派
二、讃岐の儒学者
 1.讃岐儒学の草創期
 2.讃岐儒学の中興期
 3.讃岐儒学の後期
三、讃岐の儒学と水戸学
四、讃岐儒学の系譜
五、水戸学の周辺
 1.「神皇正統記」と日本の国柄
 2.山崎闇齋の学統
 3.崎門学の特徴
 4.崎門学の根本
 5.佐藤直方と「拘幽操弁」
 6.佐藤直方の「冬至文」と稲葉迂齋
 7.浅見綗齋の「中国弁」
 8.浅見綗齋の崎門学祖述
 9.浅見綗齋の「靖献遺言」(抄)
 10.遊佐木齋と「神儒問答」
 11.荻生徂徠の古文辞学
 12.藤田幽谷と「正名論」
あとがき
参考文献
人名索引(五十音順)

【著者紹介】
〔著者〕
井下 香泉